作品分布論其の二

 今回は前回の続きである、作品を設置する場所についての話になります。前回までは作品を設置する場所の多様化について話しましたが、今回は更に展示風景というものについての考察を重ねたいと思います。

 

 まず、幾ら作品の展示場所が増えたからといって、公共の邪魔になったり、周囲に危害を加えたりするような作品は社会的にはまず受け入れられません。勿論、ゲリラ的に行われる芸術活動がセンセーションを巻き起こしたり、社会に対して痛切な問題を投げかける契機になることはごく稀にあるのですが、当然のこととしてそれらは行政的に排除されてしまうものが大半なので、世間に認知されるものは殆どありません。

 とはいえ、近代的な考えに基づいた芸術というものは、既存的な社会に対して真っ向から対立するものであり、今現在確立されている様々なイズムや流派も過去の既存的な価値観を打破して生まれてきたことを鑑みれば、自分の作品が社会に拒否されたからといって、そう易々と受け入れられるものではありません。

 自分の作品が受け入れられなかった場合どうするべきか。方法は幾つか考えられますが、まず、諦めないこと前提に考える場合に、どうやったら自分の作品が受け入れてもらえるかを考えなければなりません。今回の話題でもある展示場所が悪かったのか、アピールが足りなかったのか、技量不足だったのか、サポーターとの連携が取れていなかったのか偶々機会が悪かったのか等々… 考えてみればキリがありませんが自分の作品を他者に伝えるためには常に最良の策を考え出さなければなりません。

 

 これは割と有名な例ですが、現代美術の大家であるクリスト&ジャンヌ=クロード(夫妻)は自身の作品を展示するために行政や社会と徹底的な話し合いの場を持ちます。クリストの作品は、建物や街の景観そのものを巨大な布で「梱包」することによって知られており、その作品の規模ゆえ度々地域住民や行政に拒否され、作品設置を実現するために幾年もの歳月をかけることもあります。

 こうした芸術家の行動というものは世間一般からは理解不能だと誹謗されることが多いのですが、そうした反発があっても自分達の作品が実現できたのはそれ相応の努力と、作品を成功させる計画やビジョンをしっかりともっていたからだと言えるでしょう。

 

 こうした例からも分かるように、一度社会に拒否されたものでも、少しやり方を変えたり、計画を上手く周囲に伝えることが出来れば作品は何処でも生き抜くことが出来ます。要は簡単に諦めないことが大事だということです。

 

 今回述べたことは作品を作り続けていく上では当たり前のことなのですが、日々の制作の中で少し忘れがちになってしまうことがあるので、改めて気を引き締めたいと思います。

 

2回に分けて作品の設置場所について考えてきましたが、以上で終わりにしたいと思います。駄文で申し訳ない限りです。

 

 では、また!