現代美術の説明書

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 さて、ここの所制作活動も少~し行き詰ってきていたので、気分転換として久々に展覧会に行って参りました。それが、5月の末日まで開催されていた「現代美術のハードコアは実は世界の宝である」展(京都国立近代美術館)でして、まあ名前の通り「王道的な現代美術」の作品を一堂に集めた展覧会でした。現代美術界のマーケットではトップクラスの地位を持つという、ヤゲオ財団コレクションの中からの展示ということで、有名どころではアンディ・ウォーホルやフランシス・ベーコンの作品やアジア出身作家の作品が多く見受けられました。

 僕自身、「現代美術」だけを専門にしている訳ではないのでそこまで詳しくは無いのですが、この財団は欧米及びアジア地域の近現代美術の作品を多く蒐集しているようです。現代美術のマーケットでそれなりの名声を持つということは、言うなれば「それなりの財力を持っていますよ」ということの証明でもあり、作品を所有するということはそれだけで一つのステータスやブランドを持つということです。日本でも、「アンディ・ウォーホルの自画像が過去最高値を更新した」とか「草間彌生さんや村上隆さんの作品が何億で売れた」とかちょくちょく報道していますがこういうのを見ると「現代美術のマーケットって一体どーなってるの?」「作品の値段ってどーやって決まるの?」と、考えてしまいます。

 僕は専門家では無いので、これはあくまで個人的な見解になるのですが、美術作品の値段が決まる要素は、一つは需要と供給のバランス(知名度)、二つ目が作品のビジュアルとそのコンセプト、三つ目が売り出す能力(マーケットに対する理解)、であると考えています。まず一つ目ですが、これは美術作品だけに限らず、一般商品にもいえることですが、絶対的に商品の数に対して商品を求める人が多ければ多いほどものの値段は吊り上がります。オーストラリア産牛肉に対して松坂牛のA5ランクの肉が非常に高価であることぐらいに当たり前のことです。作品の作者が死んでしまった瞬間、作品の値段が急激に高騰することがありますが、これはその作者の作品がこれ以上増えることがないためです。

 二つ目にビジュアルとコンセプトですが、これは作者や作品の地盤をなすものでもあり、「…だから私は作品を作っているし、作品は存在しているのです」ということを証明するものでもあります。例えば新しい家電製品を買おうかというときに、ビジュアルだけで「この商品いいな~」と思っていても、キチンとした性能が伴っていなければ困りますよね?そのためにコンセプト=作品の説明書というものが必要なのです。作品のコンセプトは、作品を単にビジュアルの面だけで終わらせないで、「こんな性能ですよ」ということを伝え、買う側へとアピールすることが出来るのです。

 三つ目がマーケットへの認識ということですが、これは現代美術界のマーケットが半ばマネーゲームと化しているからこそ必要なことでもあります。人間、その気になればどんな場所でもものを「売る」ことは出来ます。ただ、そこでそこで作品が「売れる」かどうかは別物です。残念ながら、日本は作品を売ることが出来る市場そのものが、海外に比べれば小規模なのです。然しただ単に市場の規模を大きくすればいいという訳ではありません。それは先ほども述べたように、作品を単なるマネーゲームの材料へと変化させてしまう恐れがあるからです。アーティストのダミアン・ハーストはこうした現代のマーケットを揶揄するかのような作品を売り出していますし、村上隆さんもそうした市場への理解があったからこそ、日本人のアーティストとしてあれだけ名をはせているんじゃないかと思います。ただ僕自身この市場に関してはまだまだ開拓の余地があるし、作品を売る方法も広げられるんじゃないかと考えています。

 …ということで、芸術作品を売るということは、何かいやらしい感じに受け止められがちですが、自分の作品を多くの人に知って貰いたいというのは多くの表現者にとって至極当然の欲求だと僕は思います。何が言いたいのかというと、作品っていうのは簡単に受け入れられるものではないけど、色々やりようはあるってことです。

 長々となってしまいましたが、今回はこれまでということで…

新作です。これはまだエスキースの段階ですが、これからタブローの方に入っていければと考えています。